お正月と言えば初詣。近所の鎮守様を訪れるのもよし。鶴岡八幡宮や川崎大師のような大きな寺社を訪れるのも楽しい。
御朱印集めが人気になっていることも関係するのか、様々な地域で「七福神巡り」を目にする。私が住んでいる逗子では葉山町も含めて「湘南七福神」、お隣り鎌倉では「鎌倉七福神」が行われている。
そもそも七福神信仰は、仏典の「七難即滅七福即生」にちなんで生まれた。選ばれた七つの神様をお参りすると幸運がもたらされるというのだ。特に、正月、松の内に七福神参りをすると、神様のご加護を受け、その年の幸運が約束されるということで、江戸時代に広まったらしい。
縁起を担ぐための洒落た「あそび」の一つとして江戸の人たちが楽しんだのが「七福神めぐり」だったら、ポスト平成のわれらジェネレーターも、先人のノリを受け継いで、新しい「あそび」をつくりだそうではないか。
神社をめぐることは七福神めぐりと同じで、探すのは神様ではないものにする。
何を探すか……
早速、思いついたのが「木」。神社の境内で、むしろ社殿より際立つものはご神木だ。
なんで木を探してめぐる?……さあ「こじつけ」なくては……
ひらめいた!新たな年に「心機一転」ならば「神木(しんき)一転」ならぬ「神木七転」。神の木を七本求めてあちこち歩きまわる。するとその先に「八起き」で何かが「起こる」かも。
ということで「神木七転(しんきしちてん)めぐり」
を行うことにしよう。
そこで、あそびぐらしコンパスを持ち出す。
実は、今、「木」を探す理由をひねりだす時、すでにコンパスを用いていた。「あわせる」の「あう」の中の「こじつけて遭う」に照準を合わせ、見事(?)、「神木七転」というコンセプトを生み出したのだ。
次は、コンパスを使って、実際にどうめぐるかという「あそびのルール」を決める。
今回は、あるく、あわせる、あらわす のうち
あるく と あわせる
にターゲットを当てて考えてみることにした。
あるきながら、木を見つけて「とまる」だろう。その「とまる」は「心が留まる」だな。だって、「木」が「気」になるから「とまる」のだから!
「気」になって自分の心が留まってしまう「木」を探すことにしよう。
次に、あわせる。
先に行く神社を決めるのではなく、なんとなくあそこに行ってみようかなという神社に行くことにしよう。ということで木との出会いは「なりゆき」任せ。どこに神社があるかはあらかじめ知っていて探しに行くが、どんな木に出会うことに「なる」かは「なりゆく」ままということだ。
あと一つだけ条件をつけよう。異なる種類の木を七本。つまり、七種類の「木」を見つけること。それが見つかるまでいろいろな神社を「あちこちさまよう」。
七種類の木を見つけるために「なりゆき」任せに「あちこちさまよう」。その末に集まった木を「あわせる」ことでどんな発見があるかを楽しむことにしよう。
あそび方が決まったところでいざ出発。一つ目に訪れるところは、東逗子駅から近い五霊神社。ここは最初から訪れようと決めていた。なぜならここはさして大きな境内でもないのにいくつもの種類の木が生えていることを知っていたからだった。
タブノキやケヤキなど素晴らしい木がたくさんあってどれも気になるが、ご神木で「かながわの名木100選」の一つである大イチョウの木にどうしてもひきつけられてゆく。
源頼朝の父、義朝の館がこの近くにあったため、その時に勧請された由緒ある神社だが、その面影を唯一残すのがこの大イチョウだ。樹齢八百年を超える木は、頼朝の姿も、北条氏の面々も、そして近くの街道を通過した歴史上の人物も、市井の人々もすべて見てきた。鶴岡八幡宮の石段脇の大イチョウは倒れてしまったが、このイチョウは静かに、どっしりと歴史を見つめ続けている。
木のそばにいると遠い昔の先人たちとつながるような気がして、自ずと「時の眼で見る」コンパスが働いてしまう。
さて、一本目にどこの神社にもたいていあるイチョウを選んでしまった。あと六種類は違う木を選ばなくてはいけない。
続いて目指したのは金沢八景。東逗子駅まで戻らず、船越トンネルを抜けて京急田浦駅まで歩き、そこから電車で北上する。
八景の駅からすぐのところにある瀬戸神社を訪れる。
真っ先に気になったのはカヤノキ。
落葉し、ニョキっと空に手を伸ばすイチョウの迫力と生命力とは対照的に、常緑の針葉樹が冬でもしっかり葉を繁らせてこんもりとしている姿がたまらない。このカヤは樹齢720年ほどで金沢区内では最古のものだそうだ。
国道16号をはさんで瀬戸神社の目の前は入り江である。ほとんど埋め立てられてしまった中で、かつての八景の面影を少しだけ感じることができる場所だ。そこに琵琶島神社がある。
「琵琶湖」を思わせる風景のこの地に、北条政子が「竹生島弁財天」を勧請してつくられたと言う。突端にある弁財天の参道の両脇に植えられたマツが美しい。
イチョウ、カヤ、そしてマツ。頼朝の父の建てた神社からスタートし、頼朝の創建した瀬戸神社、政子の創建した琵琶島神社と、ここまで三つの神社、三本の木を「あわせ」て浮かび上がってきたのは鎌倉時代をつくり出した主要メンバー義朝・頼朝・政子だ。
今、歩んできた道のりを頼朝も政子も歩いたことは間違いない。昔の感覚からしたら鎌倉から逗子を抜けて、沼間・田浦・六浦・八景など、ちょっとした散歩にすぎないだろう。
金沢八景駅から京急に乗り、逗子に戻る。京急新逗子駅の目の前には市役所があり、その真横に亀岡(かめがおか)八幡宮がある。鎌倉の鶴岡に対して亀岡とは思わず笑ってしまう。
入口の鳥居の傍に、かまくらと三浦半島の古木・名木50選に選ばれたケヤキがある。さらには社殿の両脇にご神木の立派なイチョウの木が生えている。
しかし、私が「気」になるのは、堂々と立派でありながら、しめ縄もなく、名木のプレートもない無名のケヤキの木である。
逗子の町のまさにヘソの部分にあり、この木のまわりで大人はくつろぎ、子どもは走りまわる。それを温かく見守ってくれている。樹の姿もなんとなくおどけたように見えるのは「気」のせいだろうか。ということで4種類目はケヤキとなりました。
踏切を渡って、逗子駅の北側に向かう。こちらは急斜面が迫っていることもあり、商店はほとんどない。山の根という地名そのままの場所だ。ここに熊野神社がある。
かつては、松並木が続き、その奥に立派な社殿があったそうだ。今は、一の鳥居から二の鳥居までの参道の両脇は住宅で、なんともそっけない。二の鳥居のすぐ傍に、なんとも存在感のある木が私を招く。気になる前に向こうにつかまれた感じだ。
この木もかまくら・三浦半島の古木・名木50選に選ばれているタブノキだ。このタブをよく見ると、いろいろな木がまるで接ぎ木したかのように寄生している。厳粛さとは異なるワイルドで、奔放な木の姿がとてもいい。こういう神木もありだ。
残りあと二種。どんな「木」と「会」うのか。「気」「合」いが自ずと高まる。
熊野神社からすぐのところにあるトンネルを抜けると久木。そこに久木神社がある。なかなか立派なイチョウの木が生えているが、イチョウ以外の木が見当たらない。すると社殿の傍に、「気」になる木が。
近づいてみるとサカキが神木として植えられていた。明治から大正頃に植えられたと思われる樹齢百年ほどの木。明治になってから周辺の村社を合祀して生まれた神社。この付近は、明治・大正期には軍人のお屋敷が立ち並んでいた。国家神道を押しつけ、古来からの神を押しのけ、戦争に走った歴史を社殿に寄り添うサカキはどんな気持ちで見ていただろうか。
いよいよあと一種類。再び海の方へ足を向けよう。小坪漁港の手前には須賀神社、漁港のすぐ傍には子之神社があるので行ってみたが……気になる木がない。
逗子と鎌倉の境にある住吉神社ならば山の中腹なのできっといい「気・木」があるはず。坂道を登り、お寺と墓地の間の細い道を抜けると鳥居もない石段がある。この石段を登ったところにあるのが住吉神社だ。
あまり人が訪れそうもない社殿はスギの木立に囲まれている。そう言えば、今日、初めて出会うスギだ。ここは元々、北条早雲と三浦一族が決戦を行った山城、住吉城の跡。とはいえ、住吉が城の名前になったのは、ここに元々、住吉さんが祀られていたからであろう。
和賀江島の港のすぐ近く。海の民が出入りした場所。住吉大神は、航海安全の神。遠く海を渡ってきた者たちがここに神社を置いた理由がよくわかる。ふりかえれば、海越しに富士を望む絶景だ。
戦国の武将たちは戦いの最中、どんな気持ちでこの風景を眺めたのだろうか。漁民たちも航海の無事と商売の繁盛を祈ってここを訪れただろう。しかし、今は、ひっそりと誰も訪れそうもない場所になっている。
こうして、五霊神社のイチョウからスタートして、瀬戸神社のカヤ、琵琶島神社のマツ、亀岡八幡のケヤキ、熊野神社のタブ、久木神社のサカキ、そして熊野神社のスギと7種類の木と出会った。
「神木七転」の旅は終わった。
イチョウカヤ マツケヤキタブ サカキスギ
「あわせ」たらちょうど十七字じゃないか。語呂がいい。
家に戻り、今日訪れた神社、祀られている主神、そして発見した「気」になる「木」を地図にプロットしてみた。
七転したあと、次にどんなことが「起きる」か。これは明日以降のお楽しみだ。今の時点で言えることは、いい木に出会うと機嫌よくなり元気になるということ。神木との親睦を楽しめた。
今年も思いきり面白がってゆこうという鋭「気」をもらった。ぜひみなさんもお住いの地域で「神木七転ウォーク」をやってみてください。「木」が「元」になって「元木」ならぬ「元気」になりますよ。
木に会いて気合い十分げんき(木・気)かな 端求